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渇しても盗泉の水を飲まず(「節苑」説叢篇) 2007年5月2日

 「盗泉」とは中国山東省泗水県の東北にある泉の名前だそうです。

 ことばの由来は、〜孔子が諸国を遊説中に泉のそばを通りかかった時、とてものどが渇いていたのだけれど、その泉の名前が「盗泉」と聞いて、その泉の水を飲むことは、その名前だけでも身が汚れると思って飲むのをやめた。また、〜日暮れに「勝母」という村にさしかかり、宿を取りたかったけれど、この村の名称も「母に打ち勝つ」という不道徳なもの・・と孔子は考えてその村では泊まらなかった〜 というもの。

 このことから、どんなに苦しくても不正なことをしてはいけないという孔子の教えなのです。

 冒頭に「渇しても盗泉の水を飲まず」という句のある「猛虎行」(陸士衝)という詩が以下のサイトに紹介されています。とてもよい内容の詩で解説文がついています。ご覧下さい。

http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-056.htm 

 気がつけばまた水に関わる人生訓のことばをご紹介していますね。
 実は、毎年今頃になると私はこの言葉を思い出すのです。桜の季節が終わると、我が家の畑に植えたサクランボがたくさん実をつけ、その実を収穫しようとするときになんだか申し訳ない気持ちと戦うからです。もちろん、盗んでいるのではないのに・・・です。

 今朝も5時半には次々と野鳥がこのサクランボ(朝ごはん?)を食べに来ました。鳥たちは熟した実を上手に選んで食べていくようです。

 私は鳥たちが居なくなった8時過ぎに今年初めての収穫に臨みました。
 一昨日からの強風と雨で木の下は落ちたサクランボが一杯で、赤いじゅうたんを敷いたようです。落ちたものを踏まないようにすることはできず、まず、落ちたばかりと思える実を拾って籠に入れ、それから鳥たちが残しておいてくれた熟した実を採ります。
 さわっただけでポロッとおちそうになる実があると、本当は鳥たちが食べるはずだったものではないかと申し訳なくなるのです。もっと欲しくても時間の制約があったり、たわわに実っているのに足場が悪くて採れないものがあると、残念でなりません。

 手の届かない所の実は皆小鳥たちのもの・・と欲張り心を諌めて収穫します。けれども、熟した実が食べられてしまったと思われる一枝が私の目の前にあると、先を越されたようでちょっと悔しい。
 「君たちはあの枝の高い所から食べて頂戴!」「あの方にもさしあげたいし、あの人にも見せてさしあげたいし!今年こそは私もおなかいっぱいこのさくらんぼを食べさせて!」と空に向かった声にならない虚しい叫びをサクランボと一緒に飲み込みます。

 鳥たちは落ちたものを食べないようなのです。
「週末には雨が降るらしいから、落ちたらもったいないし、今週は先にもらうわね」など、言い訳をしながら採っている自分がおかしくてなりません。
時折り、遅いご出勤らしい鳥が鳴きながら近くに飛んできますが、
「私は盗んでいるわけでありません!これは私のサクランボです!」と心で叫びながら今朝も今年初の収穫(大げさに言っています)をしました。

 毎年このさくらんぼはたくさんの鳥たちが食べて、わたしが2〜3日収穫してほんの少し頂いています。介護をしていた頃、母には、枝ごと切って持って行って(空輸です!)とりたての実をご馳走しました。決して「盗泉の水」ではないので、今日はまず仏壇にお供えすることにします。


 
庭のさくらんぼです。
 
 
中国での講演翌日の新聞記事です。






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